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Ind-ZIN(インドジン)ができるまで#5〜完結編(下編)〜

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これらの記事の続き。もういい加減まとめます

では自分の感じている「合理性」って一体どんなものなのか。

それは例えば、売上、瞑想、投資、サスティナビリティー、自己肯定感、マインドセット、昇進、ファクトフルネス、貢献、慈善、年金、老後、終活、そして幸せ。

本当にうまく言えないけれど、もう「死ぬ」ことを考えているというか。「時間は有限」そんな台詞をよく聞くけれど、そこからもう一つ飛躍した「時間の使い道」「死ぬ時に後悔しないように」みたいな考え方。残り約60年もある時間のスローガンは果たしてそれでいいのか、考えると強烈な恐怖と失望が込み上げてきた。

たくさんの書籍が並び、近道が提唱され、方法論や概念が渋滞する。疲弊した先やドロップアウトした先にも受け皿が言語化され、箱舟の募集要項が四方の壁に張り巡らされている。勝手に身動きが取れないような息苦しさが込み上げる。

幸せとは、生きているとは。
自分は幼稚なだけなのか。
いわゆる「いい歳こいて」の奴なのか。

「そんなこと考えても仕方ない」何度もそんな助言を受けてきた。確かに小さな自分の主観の中で凝り固まったこんな気持ちを信じ切るには危うかったし、しっかりと自分の目で確かめていかなければならないと思った。それがフリーランスのライターとなることを決めた理由。

独立してからの日々は自分の価値観を大きく覆すものだった。というのも、あれだけ懐疑的であった「合理性」や「概念」、ありとあらゆる先行者の言葉をしっかりと自分の五感で咀嚼することができたから。ライターの仕事は見たもの、聞いたこと、感じたことを書き記していくこと。必然的に「得体の知れない」ものとの出会いは多くなり、「納得」という作業を繰り返していく充実感を感じるようになった。これまでの変な力みが抜けていく心地よさ。

結局自分は試してみたり経験してみたり、それを自分の頭の中で考えたりしないと「納得」ができない人間。幼稚だと思ったし、強情で遠回りだなとも思った。でもこれが自分。このめんどくさい性質のおかげで得てこられたものもたくさんあったと信じている。諦め、悟り、受け入れる、そんな表現もあるだろうが「分かった」という感じだった。

効率よくやれば、目標に最短で向かえば、騙されたと思ってやってみれば、時間を有効に使えば、綿密にフローを考えれば考えすぎなければ

きっといいんだと思う。
悩んだ時、一度は『嫌われる勇気』だとか『君たちはどう生きるか』だとか、昨今流行りの啓発本やビジネス本を読だりもしてみた。人生100年時代。セカンドキャリア。いってることはわかったし理屈は理解できたけど、結局自分はしっくりこなかった。きっと自分は違うんだなって、それが「わかった」。

ぐしゃぐしゃ考えるのが好きだし、一個のことを掘り進めていくのが好きだし、早いのは苦手で、じっくり噛み締めたくて。独立してから必死に文章を書いてきたら、ほんの少しずつそれが「良い」と言ってくれる人が現れ始めた。

「人が好きなんだね」

そんな感想をくれた人がいた。ためになったでも、勉強になったでも、関心したでも、面白かったでもなくて。その言葉にがとても嬉しかった。自分の文章がどうしてそんな印象になったのかはわからないのだけど、自分がなんで文章を書いているのか少しだけわかった気がした。

というか、なぜ書きたくなるのか。
それは例えば

先輩たちのRCサクセションコピバンのライブを見た時や
懸命に身体の全てを尽くして踊るあの人のステージを見た後や
bloodthirsty butchersを聴いた時や
故郷に広がる桃の木々や田園風景を見た時や
大好きな人と大好きな居酒屋さんでクダを巻いている時や
THA BLUE HARBのステージを見た時や
笑顔で「またきてね」といってもらえた帰り道や
友人のバンドが最高なライブをした後の河川敷や
両親とやっと素直に話ができるようになった時や
もっとある、もっともっとあるんだけれど。

そんな時になぜか溢れてくる
気がつくとぼろぼろとと頬をつたっていく
「得体の知れない」気持ち。

それを言葉にしてみたいから。それを瞬間があれば生きていけるから。
なんて言ったら良いかわからない、あの気持ちが自分の「生きている実感」だから。その気持ちの源を知りたいし、もっともっと表現したいし、伝えたい。

「西域のインディーズシーンをディグるWEBマガジン」

西域とは、自分の故郷であり、アイデンティティであり、まだ見ぬガンダーラであり、この生きている瞬間をかけて求める天竺のような場所。あるのかわからないし、たどりつけるかわからない場所。

そしてインディーズシーンとは、週末のライブハウスにいる彼らであり、また行きたくなるあのお店であり、見慣れた帰り道だったり、地下鉄の優先席であり、大切な人と過ごす食卓であり、好きな人のことであり、友達のことであり、家族であり、過去であり、自分自身であり。

そんな「得体の知れない」もの。それをずっと考え続けていきたい。目の当たりにし続けたい。見つめ直して、分かってみたい。

「Ind-ZIN(インドジン)を立ち上げたのは、生きている実感を感じたいからだった」

きっと一生かかっても触れきれないし、わからないかもしれない。でもそれを一生かかって書いていきたいです。話しながら考える、書きながら探す。そんな自分の悪い癖が祟っているのは見え透いていて、数日前にまとまりかけていた頭の中が、またいろんな出来事で蹴散らされていくかもしれないけど。第一これからなんて「得体が知れない」ものだし、自分はしなやかに、じっくり生きていきたいです。


鬱々と、暑苦しく、長々と書き殴ってしまいました。
もしここまで読んでくださった方がいたなら本当にありがとうございます。
今日からまた改めて、西の国「天竺」を目指す三蔵法師たちのように、「インディーズ」の答えに向かって、歩き出してみようと思います。
自分の場合はそれが「書くこと」でした。
一緒に記事を書いてくれる人も随時募っております。
関わる人、訪れた人が、少しだけでも自分と向き合えるような媒体になれば幸いかと思っています。


君たちは“Ind”に行ったことがあるか
俺は、まだない。


「Ind-ZIN(インドジン)」主催 野呂瀬 亮

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