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笑っちゃうほどでかい大仏/茨城県牛久市 text by太陽神ラー

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初めまして、突然失礼いたします。太陽神ラーと申します。これはある旅のお話です。

てんやわんや。そう言うしかない。

汗だくで向かった駅目前にして乗るはずの電車を見送り、特急券を買い間違えた。これらは全て私のせいでしかないんだけども。

それでも大丈夫、大丈夫と頷きながら冷静に歩を進めることができるようになった。きっといろいろあったと思う。何年かぶりに重い腰を上げて立てた旅行の計画を、台風はひとたまりもなく吹き飛ばす。

東京駅に近づくと、特急は減速。向かいのビルでは食事をする親子が手を振り、ホームでは恋人たちが抱き合っていた。

初めて目にする常磐線は静かにホームに滑り込み、渋い面持ちを見せる。

車内で徐々に二人の友人と合流する。お気楽なアラサー三人で名付けた「大仏ビーム旅」で、目指すのは茨城県牛久(うしく)市の「牛久大仏」。

「田圃と畑しかなかった真っ平な田舎の真ん中に、縮尺を狂わすような大きさで忽然と現われた立像」(山本文緒著『自転しながら公転する』から拝借)を見に行く。

なんでもこのお盆の時期に開催される「万燈会(まんとうえ)」では大仏様のライトアップ(まさにビームのよう)に、今日8月15日には花火も打ち上げられる。今回の旅の日程もこの行事に合わせてのことだったけれど、先述したように台風が迫りつつあるのでかなり予定を縮小した。花火はおそらく見られないし、ビームも怪しい。土浦市に宿をとり、夜は海鮮で宴といきたかったけれど、全て中止。

「開けてきた」

山も海もビルもない、平らに広がる大地を常磐線は走っていく。ずっと先に続く東北も、こんな感じなのだろうか。

「どこにも来た気がしない!」

牛久駅で思わず口に出す。どう見ても朝発ってきたばかりの地方都市と変わり映えしない駅舎。とても不思議な感じ。何も遮るものがないし、出歩いている人もいないので、太陽の日差しが私たち目がけてダイレクトに届いている気がする。

この旅の一番の課題は移動手段。なのだけれども、とりあえず歩いて行くことができる「牛久シャトー」へ。国の重要文化財にも指定される建造物を見学しながら、少し体を冷やす。暗闇の中にワイン樽が並ぶ地下では、背筋が少し凍るような恐怖さえ感じた。他の観光客が呟いた「防空壕みたいだね」という言葉にもつられたのかもしれない。

外ではクラフトビールやワインの売店もあった。(なかなか手頃な値段)

最高のシチュエーションに誘惑されたけれど、大仏様に会いに行くのだからとここは我慢。

次の目的地に向かうためにバス停へと向かった。

初めて訪れる土地でバスに乗ることに対してかなりのハードルを感じていたけれど、これが意外と楽しかった。バスといえば大通りを走るものと思いきや、小ぶりな車体でどんどん民家や畑の間、森の中へと突き進んでいく。映画のトトロに出てきた風景を想起させた。知らない高校、誰かの家、三人でバスの一番後ろの席に並んでドライブ。これが自分のふるさととは別に存在する、誰もが思い浮かべる“日本の原風景”っていうやつかもしれない。

ここで初めて、一瞬だけ大仏様が姿を現した。異常なまでのでかさに圧倒されるかと思ったけれど、何だか「久しぶりに会う友人を見かけた」ような気もちに近い。その青銅製の立像はすんなりと青空に佇んでいた。

信じられないくらい森の中でバスを降り、少し歩いて大通りに向かった。こんなところにあるのだろうかと思いながらも歩行者などいない道を進むと、かなり私のわがままで決めたもう一つの目的地が現われた。

“日本一のラーショ”と謳われる「ラーメンショップ牛久結束店」。着いて早々、またしても信じられないほどの行列に絶句…。だけどここまで来たら後には引けない。列に並ぶ親切なお姉さんに教えてもらい、購入した食券を店員さんに渡して整理券をもらった。この整理券がまたランダムな数字になっていて、いつ呼ばれるかわからない緊張感がある。地元のバイカーさんによるパフォーマンスを眺めつつ、友達のリュックのファスナー(よりにもよって財布が入っている箇所)が開かなくなり格闘しながら、約2時間後に私たちのエントリーナンバーが呼ばれた。

涼しい店内に案内されてしばしば、待ちわびたラーメンがようやく運ばれた。岩のりラーメンには弾けんばかりの背油が。もうこの時点で日本一がどうとかわからないくらいに腹はペコペコで、旨いに決まっている。ただ、これだけの背油にも拘らず何の抵抗もなく胃に収まってしまったことは確か。

一瞬で食べ終わり、移動中のタクシーで運転手さんに「ネットで話題になって混んでるけど、味はどこも一緒だよ。」と言われて苦笑い。「でもラーショ自体がそもそも旨いからね!」と気持ち良いフォローをいただく。

この時既に16時を迎えていた。本来牛久大仏は16時半で受付終了となるけれど、この日は花火が打ち上がるということで、通常時間で一旦閉園した後に17時半から無料開放となる。この無料開放の入場はかなり混み合うらしく、私たちは16時半までの入園を目指していた。タクシーに揺られていると、その巨大な立像は突然姿を現した。

近くで見ると、やっぱりでかい。感覚が狂いそう。

仲見世を過ぎ、受付を済ませた。ギリギリセーフ、と言いたいけれど胎内を拝観するために、何度も喉が締まるほど上を仰ぎながら急いで大仏様の足元へと向かう。

胎内への入り口はまるで某テーマパークのアトラクションを思い起こさせた。(きっと知らずに行く方が楽しいと思うので詳細は割愛)

お香に包まれた胎内は靴を脱いで進み、エレベーターでぐんぐん上に昇ってゆく。少しの隙間から土浦市、霞ヶ浦、つくば山といった景色を眺めることができる。この季節はどうしても霞んで遠くが見えないらしい。終了時間間際に来てしまったのでゆっくりはできなかったけれど、その巨大さだけあって胎内もかなり見どころがあった。

外に出てようやく一息、暑さも少しやわらいできた。苦渋の決断になるけれども、まだまだ宵闇に至るには時間がかかりそうだったので、ライトアップも諦めて東京駅に戻ることに決めた。

「大体の流れは掴めたから、来年こそは」と話していると、昼花火の爆発音とともに大勢の人々が流れ込む。無料開園の時間になっていた。皆花火を見るための場所取りに必死になっている。受付前では屋台が並び、お酒まで販売しているというかなりのはしゃぎ様だ。(ワイナリーでお酒を飲まなかったことを後悔)

今日は想像以上の祭りのようだし、大仏様はかなり茨城県民に親しまれているのだ。

かなり後ろ髪を引かれる最後となったけれど、リベンジを誓い、メロンソフトをまたしても慌ただしく口に運んで出発する。この辺には空港があるのか、空には飛行機がばんばん飛んでいた。

牛久駅へ向かうタクシーで夕暮れの中を走る私たちは、いよいよネコバスに乗った気分だった。風でなぎ倒されていく青い草たち、鉄塔より高いものはここにはない。大仏様に向かって来た旅だったけれど、最後に残るものは何だろうと考えていた。旅で何かを必ず得なければいけないということはないのだけれど。青い空と、流れていく景色たちが残った気がした。

「東京駅に着いたら、お土産を急いで買って打ち上げをしよう」(結局30分で二杯飲み干す今回の旅らしい結末となった)

台風に関する運休情報が流れる車内で、帰りはゆっくりと腰を据えて東京駅に向かう。友達がかませてしまったファスナーはまだ開かない。

行きでは気付かなかったけれど、すっかり日が落ちた夜空にスカイツリーが見えた。大仏様より、周囲に生えたビルよりも明らかにでかすぎるその塔は、異様なまでに怪しく光っていた。

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