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Ind-ZIN(インドジン)ができるまで#2〜俺の家の姉の話〜

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今日は初めて姉が一人暮らしの部屋にきた。姉とは歳が6つぐらい離れていて、今彼女は結婚して少し離れたところに住んでいる。何だかんだで今の自分を形成するまでにはあの人の影響が多大にあったと思う。

部屋にきた理由は、これからの仕事の話やデザインの話。打ち合わせやスケジュール確認をしつつ、コピーライトや姉の職場の話など、お互いに相談しつつ、雑談しつつ。

正直自分はもうあの人のコピーかというぐらい、価値観を引き継いでいると思う。というより、かなり憧れがあってきっとずっと追いかけている。

姉は昔から良く歌っていた。テーブルの上に立ってリサイタルをしたり、安い温泉旅館にありがちなカラオケステージ付きの大宴会場では、父親や祖父の要望に答えて懐メロを歌って、おばちゃんグループからおひねりとしておやつを貰ったりしていた。

ファッションもかっこよかった。みんなと違うものがいいって、派手な柄着たり、不思議なアイテム身につけてたり、エスニックにハマりだして髪の毛チリチリパーマにし出したり、ターバン巻いたり、デカいピアスつけたりしてた。よく着せ替え人形みたいにタイパンツ履かせられたりとかしていた。

聴いてる音楽もかっこよくて、インディーバンド聴き出したり、地元のライブハウス通い出して、今で言う推しのバンド追っかけたりしてて。俺が初めてライブハウスいったのはそんな姉にくっついてったカズーホール。中1だったかな。

ラジオも好きで、お年玉だかでラジカセ買ってよくスクールオブロック聞いたり、田舎だから部屋歩き回って電波拾って深夜ラジオ聴いたりしてた。

テレビもなんか深夜帯にやってたV6の番組録画してヘビロテしてたり、何かこそこそ夜な夜な楽しんだりしててかっこよかった。

絵もうまくて、しょっちゅうスケッチブックに絵を描いていて。両利きだったから両手で絵を描いたりしててすげえなって思った。

ピアノもやっていて、いっとき自宅のBGMは彼女の弾いていたピアノの曲だった。絶対音感の話とかしてて、そんな話題で小学生当時に音当てゲームとかってた。
ボイパも練習してて、姉の見てたラグフェアーのDVDで俺はボイパを習得して。

映画も好きだったから色んなのTSUTAYAで借りたり、DVD買ったりして良く部屋で見てた。俺が一番好きな映画、ピンポンは姉の持っていたDVDがきっかけだったのは間違いないな。

雑誌に関しては、小さい頃から姉はジャニーズの雑誌を切り抜きして集めてたり、買ってきて家で読んでたり、一時期はタウン誌の編集部でイラスト書いたり取材したりコラムを書いたりしていた。かっこよかった。

アカペラのサークル大学で立ち上げたり、ライブハウスに一人アカペラで出始めたり、知り合いのカフェでイベント始めたり、実家唯一美味しそうにコーヒー飲み出したり、CDウォークマン買い出したり。その都度呼ばれて、一緒のことさせてもらって、色々見せてくれて。

本当感謝してる。仮に今自分が何か人から評価してもらえる部分があるなら、それは全部姉の影響なんだと思う。

そんな姉と最近は対等に話をしたり仕事の話をしている訳だ。不思議だし嬉しい気持ちもあれば少し複雑。

かなさんがもっとセンス発揮できてカッコよくいられて生き生きできることを俺も考えたいとか思う。お母ちゃんって忙しいし、もちろんどんどん大人にはなっていくんだろうけど。

Ind-ZIN(インドジン)を始めたのはそんなモチベーションもある。俺とかなさんなら色々仕掛けられると思うし、彼女が描いたアカウント画像のイラストみんなに褒められる。

結構自己実現ってピンとこないところがあって。だからインドジンは必然的な感じがする。そんなんだからABOUTが全然書けない。ただ笑ってくれたり面白いと思ってくれたら良いような甘いビジョンだから。

上手くいくといいな。
そんな仕事なら自分の人生を賭けても良いなと思う。関わる人がどんどん褒められたり喜んだりしてほしいな。

writing

野呂瀬 亮(のろせ りょう)

「Ind-ZIN(インドジン)」主催
「西郡文章」代表(勝手に言ってる)

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