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残響的薫香 Vol.3「油淋鶏食べたい あなたと食べたいよ」@一秀 FLOAT MAGAZINE

EAT & DRINK

残響的薫香
-まるであの時の香りのような-
by FLOAT MAGAZINE

「そこに滲みついてる空気」ってある。意図的でないし、自然にあるだなんて片づけたくない。それらが五感を通り過ぎる時、僕たちは強く「思う」に悦ぶ味わい、聴き入り、そそられながら「思う」をくゆらす“言葉”から弾かれ漂っているそれらをつかまえてみたい酔いきってしまう手前まで

文/野呂瀬 亮

 いろんな思惑が渦巻くこの街で俺たちはしばしば自分というものを見失ってしまう、なんて月並みな言い文句。ただやっぱり毎日やることに追われていると、どうしてもささくれ立ってきてしまう自分がいる。そろそろあの気持ちに会いに行かなくちゃ。あの人に触れなくちゃ。気が付けば俺はbeautiful city「チュウシン」に向かって歩き出していたんだ。

 甲府市の通称、「チュウシン」と呼ばれる街。ここには幾つもの筋があって、それらが規則正しく並んでいる間にはまるであみだくじのように細い路地が張り巡らされ、今夜の安寧を占う人々が右往左往している。そんな「チュウシン」の中で一際如何わしい艶を湛えているのが“裏春日”と呼ばれるこの歓楽街。「お兄さんどうですか?」なんて色めいた誘いを軽やかにくぐり抜ける俺は、今夜あの店の懐に身をあずけることにもう決めているんだ。「やきとり一秀」白く煌々と光るその看板に導かれていく足取りを見ると、黒い服の人たちはたちまち打つ手がなくなってしまう。だってそこには“哲ちゃん”の「どまんなか」な笑顔が待っているから。

 「いらっしゃい!お久しぶりね!」そんな声を受けながら店内に入る24時。この時間にもかかわらず一秀には、看板メニューである中華と焼き鳥、そして“哲ちゃん”の優しさを求める人でごった返している。中華鍋がバチバチと良い音を立てる厨房と、出窓になっている焼き台から立ち上る焼き鳥の芳香なスモーク。さっきまで散々飲んで食ってきたのに、本日3件目なのに・・鶏と豆腐と水ならヘルシーで身体にも優しいから大丈夫。

 「おまたせね〜!」水平感覚を取り戻すには短すぎる一服を挟んだところで俺のヘルシーメニューたちが到着。全然待ってなんかないよ。壁中にたくさんのメニューが貼り出されているけど、やはり油淋鶏と麻婆豆腐は外せないんです。「サイツェン、ヘルシー」焼酎は水割りですのできっとゼロキロカロリー。油淋鶏に後ろ髪を引かれながらまずは麻婆豆腐を一口。トロッとした豆腐に少し歯応えのある挽肉、そこにジャキっとした生姜とニンニク、後からスーッと追いかけてくる香辛料。厨房で交わされる異国の言葉たちも相まって「これが本場の味だ・・」なんて妙に頷いてみたり。少しヒリっとする口を水割りでなだめつつ油淋鶏を頬張ると、これに関してはもうただ美味しいの一言。香ばしく揚がった皮面と相反してレタスの水気に甘酸っぱい特性タレを吸い上げたもも肉はプリッとジューシーな口当たり。雪崩れ落ちたシャキシャキのネギとレタスを放り込むところまでがこの油淋鶏の一口なんだ。どれだけお酒が回っていようと決して口寂しさを紛らわすためだけの一口に成り下がることのない一秀の料理たち。ついつい胃袋もランナーズハイに突入してしまうわけで。

 一秀のスタッフさんたちを見ると、皆丁寧にオーダーを反復しながらそれをメモ帳に書き込んでいる。というのも無理はない。話を聞くとスタッフのお兄さんたちは皆、近くの大学に通う中国からの留学生なんだとか。日本語も拙く、決して小手先の愛嬌があるわけではない。けれどオーダーを聞き逃さないよう真摯に対応してくれるだけで彼らの勤勉さと、このお店の誠実さが窺えるのだ。「自分の弟のように思ってるね」と話す店主は、同じ中国出身でありながらずいぶん流暢な話っぷりをしている。

 「努力が90%だと思ってるからね!」そう話す彼の日本名は佐野哲也さん。23歳の時、結婚をきっかけに奥さんの父親の故郷である日本にやってきたという彼は、来日してすぐは工場に勤務しながら独学で日本語を勉強したのだとか。5年ほど同職場で勤務したのちに日本で飲食店を開くため中国に帰り料理の勉強をし、2008年にこの店をオープン。中華に合わせ看板メニューに焼き鳥があるのは、元々ここで焼き鳥屋を営んでいた前店主から店舗を譲り受ける際にその味を伝授してもらったからだと言う。屈託のない笑顔でそう話す“哲ちゃん”だけど、その裏には彼の言葉通り並半端じゃない努力が隠れていたんだ。因みに彼の祖国での本名までは聞かなかった。だって哲ちゃんは哲ちゃんでしかないから、俺にとっては。

 カウンターでぼんやりテレビを見つめる男性、お店終わりの華やかなお姉さんたち、会社の行く末を語り合うサラリーマンや、肩を寄せ甘く囁き合うカップル。時計は午前1時を回ってもこの一秀に辿り着いてくる人は後を絶たず、満席の店内には様々な形格好をした人たちで溢れている。そのグラデーションが何だかとても心地よく、暖色の灯りと黄色の人たちしかいないこの空間が、まるで世界の縮図のようにすら感じる。

 来店する誰もに「いらっしゃい!」、「いつもありがとうね!」と満面の笑みで声をかける哲ちゃんに、「ありがとう。」「またくるね!」と応える常連さん。彼らの間にそれ以上の言葉はないけれど、きっとあの常連さん、普段あんな顔して笑わないんじゃないかな。きっとなんだけれど。またその絶妙な距離感がこの一秀というお店のなんとも言えない優しさの一部であって繁盛店の所以なんだなって思う。近けりゃいいってもんじゃないし、同じなら良いってもんじゃないって思うから。

 「安くて美味しい。これが一番お客さん喜んでくれるから!」と話す哲ちゃん。そんなの当たり前だよ。それに喜んでもらいたいって思うのも、心の底からありがとうって言うことも、誰かに優しくしてあげるのも当たり前のこと。そのはずなのに、その当たり前が俺たちは哲っちゃんのようにはなかなかできないんだ。この店の懐に入ると自分の外側にある色んなものが剥がれていくような気がする。そうして気が付けば皆、上辺も照れもない「どまんなか」な自分になって、時に和やかに、時に熱のこもった語らいが生まれているんだろう。そんな自分に出会える場所がこの一秀というお店なんだ。

 良い加減に酔いが回ってしまったところで席を立つと「ありがとうね!またきてね!!」とまたしても眩しい笑顔の店主。こないだ「哲ちゃんって呼んでね!」と見送られた俺だけど、いざ面と向かったらそんな風に呼べないだろうから。ここではたくさん呼ばせてもらいます。

哲ちゃんいつもありがとう。
またいくね。

やきとり一秀
住所:山梨県甲府市中央1丁目20-3
TEL:055-284-6339
営業時間:18:00〜翌2:00
定休日:日曜

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