春霞改め、相変わらずの天気の悪さ。
文庫本は忘れてしまった。何年も使い続けているスマホは充電の減りが早く、ずっと音楽を聴いているわけにもいかないので、仕方なく車窓からの馴染みある景色を眺めていた。何度も通った、東京へ続く道。
「観念して ぼうっとしましょう」
漫画『ハチミツとクローバー』で、思いもよらず札幌に向かう寝台列車に乗り込んでしまった“リカさん”の言葉が浮かぶ。彼女はさらに、「そうか みんなこの時間をお金を出して買うのね」と窓に向ったままぽつりと続けるのだ。
件のアラサー三人で向かった夏の小旅行から時は流れ。
いろんなことが同時進行で慌ただしかった年末から三月にかけてだったけれど、全てがパタリと落ち着いてしまい、唐突に平穏な生活へと引き戻されてしまった。そんな日々の隙間、ひと息つくように今日私たちは空を昇る。

生憎の天気となってしまった浅草には、それでも人がごった返していた。
インバウンドの波なのか、それとも何年も前に来た時もこうだったのか。それすら危ういけれども、ああそうだ、あの時は確か落語を見て天丼を食べた気がする。雨は良い。温度は忘れるけど、そのまとわりつく湿度はいつだって思い出せる。
浅草駅の地下に潜む闇のようなものにドキドキしながら、地上に出ると曇り空に溶けて消えてしまいそうな桜と、浅草寺の赤。
まずはなんてことのない居酒屋で軽くお昼をとってから、私たちはあまりの人混みから逃れるようにいそいそと浅草寺を見学した。
東京に行くには大旅行といった田舎から出て早10年以上、ここはお手軽に行けるお出かけ先となった。眠らない街、なんて言われる所以は、初めて自分の足で向かった時に知った。田舎では年に数回あるお祭りの時に出る屋台や人混みが、なんてことのない週末(きっと平日でさえ)に繰り広げられている。まだ一人暮らしに不慣れだった私は、その夜の明るさに胸が躍ったし、安心さえもしたのだ。

古くからそうだったであろう浅草のお祭り騒ぎにあてられていると、現在の東京のシンボルが顔を覗かせた。いつもは天気予報で見るその姿。本当なら春霞の中に、というところだったけれども、今日は静かな雨の中に立っている。これからテレビの天気予報を見る度に、あそこに昇ったのだと思い出すのだろうか。

2025年3月29日のスカイツリーは、天望デッキ・天望回廊までの入場券で3400円。事前予約をしてくれていたおかげで、多少はスムーズに進めた気もするけれど、エレベーターまでは行列が続く。下から見上げた細やかな鉄骨は、中の通路からは無骨で、まさに骨のようだった。

入口の案内看板で、視界が不良なのは知らされていた。前回の大仏ビーム旅といい、天候にあまりにも恵まれない自分には苦笑してしまう。四季を表現したという煌びやかすぎるエレベーターにすし詰め状態のまま(これもまた前回同様?)、私たちは天まで向かった。

存外見えた景色に、「こんなに船が通ってるんだ」なんてぼやけた感想を浮かべていた。夜や晴れた日だと、もっと綺麗な景色がみられたのだろうか。それでも目下には、緻密な建物の集約、多すぎる学校、橋を渡る車を見つけることができた。遠くにはかの有名なテーマパークや、思い出の観覧車があった気がする。

地に足が着いた風に思っている私たちでも、透ける床があれば乗ってみたくもなる。
中の売店にも心をくすぐるグッズがたくさん並べられていた。スノードームや醤油皿、年々、旅先のこういった品々に対する興味がどんどん強くなっていっている。正直買わなかったことは今も後悔しているところ。
私たちが天望を楽しんでいる間にも、雲が視界を阻んだり、流れていくのを見た。この春のぼんやりとした憂鬱を宿している私の頭も、いつか視界が晴れるのだろうか。

今日のこの天気だとマジックアワーどころではないけれど、地上に戻る頃にはもうその頃合いを迎えていた。
肌寒く、軽く買い物を楽しんだ私たちはすぐに入ることができそうなカフェに入り(今日はずっとそんな感じ)、夕食を済ませた。月島名物などいろいろ候補はあったけど、今は体調管理と効率重視だ。別の場所で暮らす私たちの話題といえば、思い出話の他に生活の不安についてが増えてきた。いや、それは昔から抱えていた気はする。ほかが賑やかだっただけで。
さて、小観光を終えて、また来た道に戻ろう。三人でよく話す、日々をできるだけ流さず、確かに歩みたいものだと。この帰り道、私は両足が段差に引っかかり階段から落ちそうになるけれども。骨がめり込む感じがして、視界がスローモーションになり、「ついにやった」と思ったところで両脇を支えられた。両足は擦りむいたけれど大事には至らずに済んだ。決して夕食のときに一杯だけいただいたハイボールのせいにはさせない。
常々、自分の弱さには嫌になることが多いけれど、人間はしぶといものだ。
意外と私は、強い。

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