「なんだか面白そう」な第3日曜日
昨夜から立ち込めた雲がしとしと雨を降らす2023.2.19(日)。ようやくマスクを外した信長像が出迎えるJR岐阜駅北口には、どこかへ向かう人、どこかから来た人、様々な人たちが行き交う。そんな往来の中、毎月第3日曜日にだけ現れる「なんだか面白そう」な人波がある。
駅から北に向かって約15分、あちこちの曲がり角から傘をさす人たちが合流する。隣で信号待ちをしているあの人。きっと初めて会うんだろうけど、つい旧知の友人のような親しみを感じてしまうから不思議だ。きっと目指す場所は皆一緒だから。
「GEKIJO DORI」頭上にかかるそんなアーチが今日の玄関口。まるであみだくじのように路地が張り巡らされる“ここ一帯”には無数の入口がある。どこから入るか、どこを曲がるか、気の向くままに足を進めれば思いもしなかった「宝物」に出会う。サラサラと小雨の音を奏でるアーケードの下、傘を畳む人たちの表情はみな笑顔だ。
ここは「ぎふ柳ヶ瀬・サンデービルヂングマーケット」。今月も「なんだか面白そう」な匂いが充満する場所。「ここにしかない、ひと・もの・空間」が集う場所。
「サンビル」のはじまり
「“やめない”って、ただ決めただけなんですよ」
そうはにかむのは「柳ヶ瀬を楽しいまちにする株式会社」の末永 三樹(すえながみき)さん。「株式会社ミユキデザイン」という一級建築士事務所の代表を勤める傍ら、このサンデービルジングマーケットを手がけた発起人の一人だ。
「“再び新たな時代を生きる商店街に蘇らせたい”。それがこのイベントの始まりでした」
昭和の最盛期、「商業と娯楽の街」として通りの向こう側が見えない程の人でごった返していたという柳ヶ瀬の街。“中部地方随一”とも言われるそのアーケード街の歴史が始まったのは明治20年頃のことだったと言う。
そこから、大正の博覧会ブーム、空襲、大型百貨店の誘致、そして撤退。激動の時代に翻弄される中、郊外型モールが台頭し始めた平成期にはメディアから“シャッター街”と揶揄されるほど、街は深刻な空虚化に見舞われてしまう。そこで立ち上がったのが、このサンデービルジングマーケットだった。
「サンビルがスタートしたのは2014年、当初は少ない有志たちの手弁当で運営し始めたんです。ある程度成果も収めて好評の声ももらっていたのですが、賑わうのはその日だけで街の日常は変わらなかった。加えて内情は資金繰りも厳しくマンパワー不足。利益も出せない中、メンバーたちも徐々に疲弊していきました」
1年に1度というペースながらも「熱意だけで乗り越えられない“壁”に直面した」と当時を振り返る末永さん。そこで、柳ヶ瀬で「ツバメヤ」という和菓子店を営みながら、岐阜柳ケ瀬商店街振興組合連合会の理事を勤めていた岡田さん(現柳ヶ瀬を楽しいまちにする株式会社代表)と共にイベントの再構築を始めていく。
胎動する「まち」
「“自分を育ててくれた『柳ヶ瀬』という街に恩返しを”そんな想いでお店を営んでいた岡田さんとも協力して、行政へのアプローチも進めていきました。『毎年』から『毎月』へ、戦略的に無理せず続ける方法を模索していったんです」
サンビルのスタートから2年、2016年末永さんと同じく建築や不動産業も並行していた岡田さんを中心に「柳ヶ瀬を楽しいまちにする株式会社」を設立。毎月第3日曜日開催にペースアップしたイベント運営と並行して、シャッターが並ぶ商店街の空き家やビルのリノベーション事業を展開していく。
「『まちのファンを作りたい』という旗の元、岐阜市のまちづくり推進政策課からも協力を得ながら、街に魅力あるコンテンツ(ロイヤル40[ヨンマル]etc…)を創っていきました。空きビルやテナントを活用した新規開業支援など、行政のサポートも充実していったんです」
サンビルの「なんだか面白そう」な波紋は広がっていき、それを嗅ぎつけた若者を中心に新しいクリエイティブなショップが次々とオープン。「毎月」から「毎日」へ。サンビルは月一のイベントを飛び越え、柳ヶ瀬の街に息づく「日常」へと成長し続けた。
「ここにしかない、ひと・もの・空間」
爪弾かれるギターの音に和やかな笑い声、スパイシーなカレーやコーヒーの匂い。サンビルのマーケットには、フード、ドリンク、ハンドメイド小物、古着、ワークショップなど、多種多様なショップがブースを連ねる。
子ども連れの家族や若いカップルたちは、思い思いに「面白そう」な匂いに吸い寄せられていく。サンビルには隣県からわざわざ足を運ぶ人も多いのだという。「イベントをきっかけに若い人が増えたね」そう話すフランクフルト屋のおじさん。くるくると忙しそうだけど、その表情は笑顔だ。
東西方向に約500mにわたって伸びる「柳ケ瀬通り」を中心に、南北へ張り巡らされている無数の小怪たち。その行く末はまさに藪の中、左右からニョキニョキと生え出す香ばしい看板のフォントに手招きされ、足を進めていく。
中世ヨーロッパ風の石柱に水路、ラグジュアリーな噴水、地面に張り巡らされた色鮮やかなタイルに、味のあるステンドグラス。賑やかしい声を遠くに聞きながら一人歩く路地には、日常から離れた「時代の狭間」のような風が吹き抜ける。
未だ空き家となっているテナントも少なくはない。残されたままの商売道具たち、栄枯盛衰を生き抜いた人々の面影が染み付くシャッター。カタカタ音を立てるそれらに深く魅せられてしまうのも、このまち独特の「引力」。
ふと少し寂しくなり、足早に通りへ戻る。
よかった、楽しそうなみんながいる。
柳ヶ瀬は今日も生きている。
このまちが、僕たちの寄り合い場
「柳ヶ瀬のまちにすっかり魅せられてしまって、名古屋から移り住んできたんです」
そう話すのはサンビルの中心メンバーである鬼頭 知那(きとうともな)さん。大学卒業後一度は一般企業に勤めたが、2022年に柳ヶ瀬を楽しいまちにする株式会社へ入社。現在は柳ヶ瀬の中心地にあるシェアハウスで暮らしながら、自身の感じた街の魅力を発信している。
「サンビルを運営しているメンバーの半分以上はボランティアなんです。地元で育った人もいれば、私と同じようにこのまちに魅せられて参加してくれる人も多い。“まちづくり”に関心が高い同年代の人たちが柳ヶ瀬にどんどん集まってきているんです」
鬼頭さんのようにイベントの出店やボランティアをきっかけに柳ヶ瀬へ移住してくる人もいるのだそう。商店街に残された多くの空きテナントが、若者たちの新しいチャレンジの場となっている。
「月に一度、各地からサンビルに集まるショップさん同士で情報交換をしたり、そこからコミュニティが生まれて新しいイベントを企画したりもしています」
サンビルの名物エリア「フルギロード」にブースを構える出店者はそう話す。“物を売る”というより、このイベントが仲間たちとの“寄り合い”の場になっているのだそうだ。
人が寄り合って、話に花が咲く。
「なんだか面白そう」な企みが生まれてしまうのは必然のこと。
どうなるかわからないから「なんだか面白そう」
「まずは自分達が“楽しむ”ことを大切にしています。ゴールや正解はわからないけど、面白いからここまでやってこられたし、続けてきたからこそ偶発的なムーブメントも生まれていくんだと思います」
忙しい運営の合間を縫って、自らもマーケットを満喫する末永さんたち。出店者たちとコミュニケーションをとりながら、時に自分へのお土産を手にぶら下げながら。まるで「面白そう」な花粉の粒をあちこちに運ぶミツバチのように。
雨も上がり、少しだけ夕日が差し込み始めた16時頃。賑やかだったサンビルの会場ではポツポツと撤収作業が始まる。「ありがとうございました!来月もお願いします!」ほくほくとした笑顔でスタッフパスを返却する出店者の姿が印象的だった。日曜日の夕方は少しだけ寂しいけど、来月もここで再会する仲間たちがいる。また柳ヶ瀬に来れば、きっと宝物のような「ひと、もの、コト」に出会える。
「まちのファン作り」を掲げ、自らを“まち会社”と名乗る彼女たち。「まちづくり」「まちおこし」そんな言葉を頻繁に耳にするようになった昨今、打ち上げ花火的に一回こっきりで衰退していく催事や、地域住民との連携の不和で失速してしまうプロジェクトも少なくはない。そんな中、9年もの間常にまちをアップデートさせながら新しい試みを続ける彼女たちにファンがつかないわけがない。スポーツだってそうだ、挑まないチームにファンはつかない。辿り着いた栄華にあぐらをかいたら寝首を掻かれる、柳ヶ瀬というまちはそれを学んでいる。
柳ヶ瀬のまち、サンビルが「なんだか面白そう」なのは、ずっと“途中”だからなのではないかと思う。「街は人」しばしばそう例えられることがあるが、様々な人たちが集まるこのまちには、好奇心を留めず、興味に貪欲に、成長を欲する、まさに一つの「人格」のような空気が充満している。人生は寄り道ばかりだし、そこにゴールや正解はない。それを包み込む懐が、このまちにはある。
あの角を曲がったら
この扉を開いたら
行ってみないとわからないし
どうなるかもわからないから
「なんだか面白そう」が匂うまち
また柳ヶ瀬に来たくなる
Writing/Photo
野呂瀬 亮(のろせ りょう)
Ind-ZIN(インドジン)」主催
「西郡文章」代表(勝手に言ってる
コメント