前日の低気圧に少し後ろ髪を引かれる2023/5/6(土)の東京渋谷。少し霞がかった日中の街は蒸し暑く、半袖でも少し汗ばむ程だった。ビルを抜ける凄まじい突風に歯向かい、すっかり乱れてしまった髪を整えエレベーターに乗り込む。渋谷CLUB QUATTRO「魂とヘルシー paionia 15th」。昨年の6/26(日)京都二条nano以来、約11ヶ月ぶりのpaionia単独公演が始まろうとしていた。
17:30の開場からおよそ20分、フロアにはまだ人はまばらで、ステージを見つめる彼らのネガともポジともとれない独特な表情と空気感が印象的だった。空調からはひんやりとした冷気が忍び込む。ドリンクはまだよしとする。
客入りは比較的スローペースだったが、開演10分前程となると一変。少しずつ背丈を伸ばしていく細波のように、15周年を見届けんとする同胞たちが緩やかに押し寄せた。この日どれだけのバンドマンや関係者が会場にいたのだろう。そう、彼らはまさしく同胞に違いなかった。「おつかれ」「やっぱ来てたね」すっかり長蛇の列となったカウンター前や喫煙所で交わされる挨拶が、あのQUATTROをすっかりいつもの“ライブハウス”へと変えて退けてしまう。paioniaの二人がいかにバンドというものを愛してきたか、ステージに喰らいついてきたのか、その執念を計り知るのだった。
BGMがフェードアウトすると会場には緊張感と厳かな高揚感が張り詰め、スモークと共にドクドクと脈を打つようなSEが響き始める。paioniaの元メンバーでもある「yolabmi」が当公演に当てて制作したこの楽曲。おもむろな眼差しでステージに現れる3人の心情を表しているようで、歓声のような息切れのような声がステージに向けられた。
一瞬の静寂の後、ステージ上手高橋勇成(Vo/Gt)の咆哮が緊張感をつん裂くと、堰を切ったようにサポートメンバー佐藤謙介(Dr.)のビートがドロドロと流れ出す。“何待ち”、paioniaの楽曲には珍しいアップテンポの初曲は、当公演のティザームービーに使われたtobaccoのオマージュ曲だ(「魂とヘルシー paionia 15th -渋谷CLUB QUATTRO-」 Teaser Movie)。立て続けにギターリフと菅野岳大(Ba)のベースが重なり、フロアの浮遊感を加速させていった。
一曲目を終え大きな歓声に包まれる会場に刻まれるミドルビート。2023年4月にリリースされた“現代音楽”が始まる。深くリバーブするアルペジオにいつもの体温を取り戻す頃には、すっかり高橋の歌声と言葉に没入していく。《かさばり出したあれやこれ/悩み抜いた夜も/呆れる程に見事に/ハリボテの等身大》。是非の横行する街の隣、アクリルのように薄く透明な壁を隔てた部屋にある彼の現代音楽だ。リズミカルなメジャーコードの一歩後ろを俯き歩く言葉が、ヒリヒリと肌に馴染んでいく。
MCは少なかった。“1988”(デジタルシングル 2019年7月)、2ndミニアルバム「rutsubo」(2013年12月)から“11月”。あの頃の風景、15年という年月を前後に漂いながら彼らの走馬灯に想いを巡らす。《俺は俺でいるために/喋り続けるさ》、どれだけの人が彼らの前を通り過ぎ、そのたくさんの足音を見送ってきたのだろう。Disney+「スター」オリジナルドラマ『すべて忘れてしまうから』エンディング楽曲に起用された “わすれもの”(デジタルシングル 2022年10月)のイントロが静かに奏でられる。
《たしかに残ってる/夕陽の中で待つ君にかけた愛の言葉も/消えないように歌ってくよ/日々は優しく咲いていた》。paioniaと共にステージに立ち、幾回もの乾杯を交わしてきた彼らの目に、その歌はどう映ったのだろうか。ギターをかき鳴らすその小柄で猛々しい背中を見つめて。THE DEATHはステージの光を受け静かに揺れていた。
「FUJI ROCK FESTIVAL’18 “ROOKIE A GO-GO”」での演奏が話題となった“跡形”(1stフルアルバム「白書」2018年6月)が始まると、会場には大きな歓声が湧く。《俺たちはあの日の俺たちと/抱きしめ合える日を夢見てる》。初案では“蔵”という仮タイトルだったというこの楽曲の背景には、二人の故郷福島の今は無き風景がある。立て続けにイントロが鳴り始めたのは“東京”(2ndミニアルバム「rutsubo」2013年12月)。この曲をきっかけにpaioniaを知った人も多いであろう彼らの代表曲の一つだ。ここに“東京”の収録されている2ndミニアルバム「rutsubo」に添えられた菅野によるセルフライナーノーツの一説を引用しておく。
2011年の3月11日に、僕たちは福島にいた。
髙橋君の母親の車に乗せてもらい、作動していない信号機や、そこここで道路が裂けているのをみとめながら急いで実家に帰る途中、彼が何かを見つけて突然大きな声をあげた。
その方向には何もなかったのだが、段々と近づくに連れて、やっと僕もそれに気付き、同時にすごくショックを受けた。
彼の祖父母宅の向かいにある、2階建ての倉が見えなくなっていた。
まるで上から叩きつぶされて地面に這いつくばってしまったかのように、全壊していた。高校時代のことだ。僕たちはそこで、将来への不安や、小難しい若き苦悩みたいなものはどこかに置きっぱなしにして、部活の友達なんかと好きなバンドのCDをかけたり、大して弾けない楽器を持ち込んで騒いだり、たまにお酒を飲んで馬鹿みたいな暴れ方をしたりして、遊んでいた。
(中略)
この(東京)歌詞は、いわば髙橋勇成による3.11以降の手記なのだと思う。
「rutsubo」セルフライナーノーツ~無関係の街、未完成な僕ら~
したがって対象などは不明瞭で、誰かに向けられたものではなく、何かを声高に叫ぶこともしない。
福島に故郷を持つ人間のつづる、ごく個人的な内容が続く。
《最初から何もないけれど/思い出はずっとそこにいて/僕らが生きたこの街は/一生死ぬことはないさ》。彼らが青春を生きたあの倉や街の景色、そしてあの日の彼ら自身の跡形がステージに投影されていくようだった。“跡形“がリリースされたのは“東京”が発表されてから約5年後の2018年。そこから激動のコロナ禍を含むさらに約5年後の今日、現在の彼らはどんな想いでこの2曲を演奏しているのだろう。《あの日の俺たち》はこの15周年のステージを見守ってくれているだろうか。
ライブも中盤に差し掛かり、この日初めて直近のリリースとなる2ndフルアルバム「Pre Normal」(2022年2月)から“黒いギター”と“夜に悲しくなる僕ら”が演奏される。朝と夜、希望と失望、生と死、それらを何度も行き来するような彼らの言葉はいつも苦しい。しかし《ここまで生きてみましたが/さよなら/さよなら》、そんな言葉に、幸福にも思える穏やかな死相のようなものを感じたのは自分だけだろうか。15周年という節目を迎えるこの日、もしかしたら彼らはある種の「死」を迎えようとしていたのではないか。そんな風に思ってしまったのは少し考え過ぎかもしれない。
「ありがとうございます。」
安堵感と照れ臭さが入り混じるようなごく控えめな高橋の一言と共に、ライブは後半戦へと進んでいった。
Text by 野呂瀬亮 / Photo by タカギタツヒト
レポート後編はこちら
●セットリスト
01.何待ち
02.現代音楽
03.1988
04.11月
05.わすれもの
06.跡形
07.東京
08.黒いギター
09.夜に悲しくなる僕ら
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<with 山本きゅーり(ノンブラリ)>
10.フォークソング
11.小さな掌
12.灯
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13.暮らしとは
14.浪人
15.手動
16.鏡には真反対
17.金属に近い
18.after dance music
19.いまだにクリスマス
20.素直
21.人の瀬
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<Encore1>
22.プロダクト
23.みんな言えないでいる
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<Encore2>
24.新曲(タイトル未定)
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